名古屋地方裁判所 平成2年(行ウ)3号 判決 1995年9月29日
原告
植松良子
右訴訟代理人弁護士
水野幹男
同
竹内浩史
右訴訟復代理人弁護士
羽賀康子
被告
名古屋南労働基準監督署長
泉浩介
右指定代理人
中山孝雄
外六名
主文
一 被告が原告に対して平成元年三月二四日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同旨。
第二 事案の概要
本件は、東宝運輸有限会社(平成三年五月、東宝運輸株式会社に組織変更。以下「東宝運輸」という。)に大型貨物トレーラー(以下「セミトレーラー」という。)の運転手として勤務していた原告の亡夫植松伸剛(以下「伸剛」という。)がセミトレーラー運転業務に従事中倒れ、搬送された病院で死亡したことが業務上の死亡に当たるとして、原告が被告に対してした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料支給の請求に対し、被告が伸剛の死亡は業務上の事由によるものと認められないとして不支給の処分をしたため、原告が、被告に対し、右処分の取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実
1 被災者の経歴等
伸剛(昭和二四年二月一九日生)は、原告の夫であり、昭和五一年一一月一日、名古屋市南区加福町一丁目七番地所在の東宝運輸に入社し、以来継続してセミトレーラーの運転手として勤務し、鉄骨等の重量物の運送等の業務に従事していた。
2 発症から死亡までの経過
伸剛は、昭和六三年三月一日午後九時頃、静岡県沼津市所在の近藤鋼材加工株式会社(以下「近藤鋼材加工」という。)に向けて、鋼材(角パイプ)を積載したセミトレーラーを運転して出発したところ、同月二日午前二時頃、伸剛に遅れて同じ目的地に向かって走行していた同僚運転手早川幸広により、静岡県榛原郡金谷町地内の国道一号線牧の原第三トンネル手前約一〇〇メートルの道路上左側に停車した伸剛運転のセミトレーラーの運転席で、伸剛が意識不明の状態で倒れているのを発見され、救急車で静岡県島田市野田一二〇〇番地の五所在の市立島田市民病院(以下「島田病院」という。)に搬送され、脳動脈瘤破裂と診断されて入院加療がされたが、同月九日午後一時一〇分、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により死亡した。
3 本件処分等
(一) 原告は、伸剛の死亡は業務上の事由によるものであるとして、昭和六三年六月八日、被告に対し遺族補償年金及び葬祭料の請求をしたところ、被告は、伸剛の死亡原因は労働基準法施行規則三五条、別表一の二第九号の「業務に起因することの明らかな疾病」に該当しないところから、「業務上の事由による疾病とは認められない」として、平成元年三月二四日付けをもって不支給処分(以下「本件処分」という。)をし、原告に通知した。
(二) 原告は、本件処分を不服として、平成元年四月四日、愛知労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、審査請求後三か月を経過するも決定がないとして、行政事件訴訟法八条二項一号に基づき本件処分の取消しを求めて本件訴訟を提起した。
(三) なお、同審査官は、平成二年一一月九日付けで、伸剛の死亡は同人の高血圧症を素因とする自然発生的な脳動脈瘤の破裂によるもので、業務上の死亡とは認められないとした被告の本件処分は正当であるとして、右審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は、右決定を不服として、平成二年一二月二七日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成六年一〇月一八日付けで、伸剛の従事した業務と発症との間に相当因果関係は認められず、むしろ伸剛に既に存在していた基礎疾患等の私的要素の強い関与によってもたらされたものとみるべきで、業務に起因するものとはみることはできないとして、再審査請求を棄却する旨の採決をした。
二 争点
本件の争点は、伸剛の死亡が、業務上の事由によるものといえるか否かという点にある。
1 原告の主張
(一) 伸剛の業務の過重性
(1) 伸剛の業務内容
伸剛は、前記一1のとおり、東宝運輸に入社後、セミトレーラー運転手として勤務し、鉄骨等の重量物の運送業務に従事していたところ、名古屋市内での運送業務の場合には、午前六時三〇分頃出勤し、午後七時頃帰宅していたが、右に加えて、長距離運送を担当する場合には、午後七時に帰宅した後再度出勤して夜間の長時間運転業務に連続して従事していた。
また、単に運送のみにとどまらず、荷物の積込み・積卸し、ワイヤー締め等の作業にも従事し、更に、配車係を補助して配車業務にも従事しており、そのため、他の運転手に代わって運送業務に当たることもあった。
(2) 長時間・不規則労働
一般に自動車の運転は神経を使い、しかも、トレーラーの運転はより一層の集中力と緊張を強いられる上、伸剛が従事した業務は、長距離運送の業務が毎月一〇回近く、多い月には一〇数回にも及ぶため、日常的、恒常的に拘束時間が異常に長く、昼間勤務もあれば、昼間と夜間の連続勤務も頻繁にあって一定せず、連続勤務の際には、深夜の長時間連続長距離運転労働を伴うなど、不規則な労働であり、そのため、過大な身体的、精神的負担を課され、かつ、日々の労働による疲労の回復のための時間的余裕を奪われるという二重の意味で疲労を蓄積させ、健康障害をもたらす危険の極めて大きいものであった。
発症前一年余の期間における拘束時間の合計は三六三五時間、一か月平均三〇三時間に及ぶ。発症直前の拘束時間をみると、昭和六三年二月一〇日から同月一三日にかけては六二時間四〇分、一日当たり一八時間弱、同月一七日午後三時から同月二〇日午後六時までは五七時間一〇分、一日当たり一八時間以上となっている。
なお、拘束時間は、労働時間と仮眠時間の合計時間をいうものであり、仮眠時間を除外して拘束時間を計算すべきものとする被告の主張は適切でない。
伸剛は、発症前一か月間に、昼夜の連続勤務を八回繰り返し、特に、昭和六三年二月四日から同月一三日までの一〇日間に五回連続して行い、しかも、遠隔地への出張のため、昼勤・夜勤・昼勤の三連続勤務であった。
(3) 過少な休息期間及び休日
伸剛は、深夜労働を含む長時間労働に日常的、恒常的に従事していながら、休息期間や休日など疲労回復に必要な時間を与えられていなかった。すなわち、勤務終了後の休息期間は最低限でも継続して八時間が必要であるにもかかわらず、伸剛は、発症前一か月間において、約五日に一回はわずか三時間ないし四時間三〇分の休息時間しか取っていなかった。
また、発症前一か月間において、勤務終了後次の勤務までの間隔が三二時間以上あった日は三回であり、形式的には休日三日を取得したことになるが、そのうちの二回については、直前の拘束時間がそれぞれ二四時間三〇分、二五時間三〇分と極めて長時間であった。
(4) 発症前日から当日にかけての業務
伸剛の恒常的な過重労働の中でも、発症前日である昭和六三年三月一日から発症当日である翌二日にかけての発症直前の労働はとりわけ過重であった。すなわち、前記一2のとおり、伸剛は、昭和六三年三月一日午後九時に近藤鋼材加工に搬送するため沼津に向けて出発したが、それまでに、同日午前四時三〇分頃自宅を出、午前五時三〇分に東宝運輸車庫を出庫し、午後四時までの間、トレーラーを運転して厚板の運送業務に従事し、その後、近藤鋼材加工に搬送する鋼材を積み込んで午後六時に帰庫したが、その間、待機・食事・休憩時間はわずかに四〇分とったにすぎず、いったん帰宅して食事した後、近藤鋼材加工への搬送業務を行うために、午後九時前には再度出庫した。したがって、伸剛は、同日の昼間勤務として、拘束時間一二時間三〇分、実働一一時間五〇分の労働に従事し、しかも、帰宅して夕食を済ませた後、連続して夜間勤務に就き、午後九時から発症までの間四時間前後更に運転業務に従事したことになる。
(5) 伸剛の基礎疾病(高血圧)と東宝運輸の定期健康診断不実施
① 伸剛は、高血圧の基礎疾病を有していたところ、東宝運輸は、このような基礎疾病を有する伸剛に対し、前記のような肉体的、精神的疲労を蓄積させる業務を命じながら、昭和五七年五月以降伸剛の死亡に至るまで約六年間にわたり、定期健康診断を全く行わなかった。
② 発症直前における高血圧症の増悪の状況
伸剛は、昭和六三年一月頃から同年二月にかけて、「身体がだるい。」とか「頭が痛い。」などと言って、身体の不調を訴えていた。
伸剛は、昭和六三年三月一日午後六時東宝運輸に帰庫した際、配車係に対し、「頭が痛い。病院に行ってくる。」と告げて帰宅した。しかも、伸剛は、同僚に対し、同日の長距離運送の仕事に就きたくない旨漏らしていたのであるから、同日の伸剛の体調は不良であり、その高血圧の症状が増悪し、くも膜下出血の警告症状が出ていたというべきである。
③ 発症後の増悪
伸剛は、ワンマン運転走行中に発症したため、発症後一時間余り適切な早期救護措置も受けられず放置され、この間取り返しのつかないところまで増悪した。
(二) 業務起因性について
(1) 認定基準について
被告主張の新認定基準は、旧認定基準の災害主義を踏襲するものであり、業務と疾病等との間に超相当因果関係と呼ぶべき厳格な因果関係を要求するもので不当である。
認定基準の問題は、いかなる場合に労災保険法一条所定の「業務上の災害」に該当するかという問題に帰着するところ、労働者災害補償制度の趣旨は、被告主張の民法上の不法行為における無過失賠償理論に基づく損害賠償ではなく、労働基準法(以下「労基法」という。)一条にいう労働者が人たるに値する生活を営むため必要を満たすべき労働条件の最低基準を定立することを目的に、負傷、死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件に療養補償、遺族補償などを行う法定救済制度であるところに求められるべきものである。このような趣旨からすれば、労基法七九条にいう「業務上死亡した場合」とは、業務と死亡との間に合理的関連性があることをいい、当該業務に従事したために基礎疾病を悪化させ死亡に至ったことが推定されれば足りると解するべきである。
(2) 仮に、右文言を労働者の死亡と業務との間に相当因果関係がある場合でなければならないと解するとしても、死亡が業務遂行を唯一の原因とする必要はなく、既存の疾病が原因となって死亡した場合であっても、業務の遂行が基礎疾病を誘発又は増悪させて死亡の時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果の発生を予知しながら、あえて業務に従事する等災害補償制度の趣旨に反する特段の事情がない限り、右死亡は、業務上の死亡であると解するのが相当である。
(3) 安全配慮義務違反について
また、労災補償制度の前記のような趣旨からすれば、使用者の安全配慮義務違反は、相当因果関係の有無の判断に当たって重要な要素として考慮されるべきであり、使用者の安全配慮義務違反により労働者の基礎疾病を増悪させる等して労働者が死亡した場合には、業務と死亡との間には相当因果関係があるというべきである。
そして、本件においては、訴外会社は、伸剛の高血圧が治療を要するものであることを熟知していたから、伸剛の高血圧が悪化しないよう万全の予防措置を講じ、適切な治療を受けさせるとともに、基礎疾病が悪化しないよう適切な労働に配置して、労働負担を軽減させる措置をとるべきであったのに、これを怠った安全配慮義務違反が存する。
(三) 業務起因性
以上のとおり、伸剛に基礎疾病たる高血圧症があったとしても、前記のとおり伸剛の従事していた業務による労働負担が伸剛の心身に加えられて基礎疾病を増悪させ、脳動脈瘤破裂の発症・死亡に至ったというべきであり、また右労働負担は東宝運輸の安全配慮義務違反(健康管理義務違反)によるものであるから、伸剛の死亡は、労基法七九条にいう「業務上死亡した場合」に該当するものというべきである。
2 被告の主張
(一) 業務起因性の判断基準について
(1) 認定基準の存在
労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病の範囲に関して、労基法七五条二項に基づいて定められた同法施行規則(以下「規則」という。)三五条別表第一の二第九号は、「その他業務に起因することの明らかな疾病」が、労災保険法上の保険給付の対象となる旨定めている。
脳動脈瘤破裂は、規則三五条別表第一の二第一号ないし第八号のいずれにも該当しないことは明らかであるから、これが業務上の疾病と認められるためには、「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要するところ、右「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かについては、労働省において次のとおり認定基準が定められている。
① 労働省労働基準局は、昭和三六年二月一三日付け基発第一一六号「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」(以下「旧認定基準」という。)を設けていた。
② その後、労働省では、旧認定基準以降の医学的知見等について、医学専門家で構成された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」における検討結果を踏まえ、昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「新認定基準」という。)を制定し、新認定基準により、左記に該当する疾患を規則三五条別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当する疾病として取り扱うものとした。
記
Ⅰ 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。
イ 発症状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。
ロ 日常業務に比較して、特に過重の業務に就労したこと。
Ⅱ 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること。
③ 新認定基準の解説では、新認定基準について、次のとおり説明されている。すなわち、右の「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(労働者本人の素因又は基礎となる動脈硬化等による血管病変や動脈瘤等の基礎的病態。以下「血管病変等」という。)をその自然的経過を超えて著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいい、この自然的経過とは、加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいうとされ、また、右「異常な出来事」とは、a極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、b緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、c急激で著しい作業環境の変化とされている。
④ 更に、新認定基準に別添された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定マニュアル」(以下「マニュアル」という。)には、右②記載のⅠロの要件について、次のとおり、具体的基準が示されている。
すなわち、前記Ⅰロの「特に過重の業務」とは、当該労働者の通常の所定業務と比較して特に過重な精神的、身体的負荷と客観的に認められる業務であり、客観的とは、医学的に血管病変等の急激で著しい増悪の要因と認められることをいうものであるので、当該労働者のみならず、同僚労働者又は同種労働者にとっても、特に過重な精神的、身体的負荷と判断されるものであるとされている。
⑤ また、新認定基準の解説では、発症と業務との関連についての判断は、次によることとしている。
ア 発症に最も密接な関連がある業務は、発症直前から前日までの間の業務であるので、この間の業務が特に過重と客観的に認められるか否かを、まず第一番に判断すること。
イ 発症直前から前日までの業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合には、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを判断すること。
ウ 発症前一週間より前の業務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し難く、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たって、その付加的要因として考慮するにとどめること。
エ 過重性の評価に当たっては、業務量のみならず、業務内容、作業内容、作業環境等を総合して判断すること。
(2) 新認定基準の趣旨
本件のように、負傷に起因しない脳血管疾患については、労働者本人の血管病変等が、加齢や日常生活の私的な要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであり、また、その発症には著しい個体差が認められ、業務自体が血管病変等の形成に当たっての直接の要因とはならず、特定の業務との相関関係は認められないといわれている。しかし、個別的事案によっては、本来的には私病である血管病変等が業務上の要因によって急激な血圧変動や血管収縮を引き起こし、自然的経過を超えて急激に著しく増悪した結果、脳血管疾患を引き起こしたと医学的に認められる場合もあり、その意味で、例外的に、急激な血圧変動や血管収縮を起こし得る態様の業務の場合、血管病変等を自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ得るという意味での危険・有害因子を認め得る場合がある。新認定基準は、いかなる場合に、このような急激な血圧変動や血管収縮が業務によって引き起こされ、血管病変等が自然的経過を超えて急激に著しく増悪し発症に至ったと認定できるかについての基準を設けたものである。
(3) 新認定基準の合理性
新認定基準は、前記専門家会議が取りまとめた昭和六二年九月八日付け「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」に全面的に依拠したものであり、右報告書の内容は、内科学、産業医学、病理学、疫学、生理学等にわたる最新、最高の医学的知見を集約したものであるから、これに基づいた「その他業務に起因する疾病」に該当するか否かの判断は、最も合理的なものであり、それは同時に、業務と疾病発症との間の因果関係に関する医学的経験則を示すものであり、右基準に該当しない業務態様の場合には、医学経験則上、業務と疾病発症との間の因果関係自体が一般的に否定されるべきものである。
(二) 相当因果関係について
(1) もっとも、右認定基準は、設定されている有害因子別に発症する疾病の業務起因性の肯定要素の集約であるから、この基準の要件と異なる形態で発症する疾病を全て否定しているわけではなく、認定基準に該当しない疾病であっても、業務と疾病との間に相当因果関係が立証される場合については、業務上の疾病として取り扱うものである。
(2) 業務と疾病との間に業務起因性が認められるためにはその両者の間に相当因果関係が存在しなければならないところ、これが肯定されるためには、業務と疾病との間に条件関係が存するだけでは足りず、当該業務に一般的にみて当該傷病等を発生させる危険・有害因子の存することが必要である。
ところで、労働者の傷病等の発生原因は通常複数の原因が結果発生に絡みあって条件関係を形成していることが多く、その結びつきも結果発生に対して同等ではなく強弱様々であるから、競合する原因の一つとして業務が考えられる場合であっても、直ちに業務起因性を認めることができず、傷病等の結果発生が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認め得るか否かが問題であり、この点、一般的抽象的には、業務が傷病等に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることを要するというべきである。
そして、右相対的有力原因の内容が、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認め得るか否かが問題となることから、当該業務が当該事案において有力原因であるか否かだけでなく、客観的に他の事案にあてはめても発症の原因となり得るであろうという事実をいうものとして、その意味での普遍妥当性が必要と解すべきであり(客観的相対的有力原因説)、具体的には、右業務の危険性の有無の判断は、医学経験則、すなわち、当該疾病を発生させる危険を有する業務であることが医学的に承認されているか否かによって判断されているものである。
(三) 伸剛の死亡が業務に起因しないものであることについて
伸剛の動脈瘤破裂の発症前一週間における業務は、通常の業務量であって、過重負荷はなく、かつ、発症直前における突発的な出来事は認められないから、伸剛の死亡は業務に起因するものではなく、既往の高血圧、動脈硬化症が存在するのに、医師の診察、治療を受けることなく、飲酒、喫煙などをし、的確な治療を怠り放置していたため自然経過的に増悪、進行し、そのため脳動脈瘤破裂に至ったものである。
昭和六三年二月における出勤日数、休日取得日数、長距離運送従事回数及び走行距離については、伸剛と同僚労働者とは違いがない。
(四) 安全配慮義務について
なお、安全配慮義務違反が業務起因性の判断要素となるとの原告の主張は、契約上の債務不履行として民事損害賠償請求権を基礎づけるための概念たる安全配慮義務違反を、無過失責任を前提とする労災補償制度との質的差異を無視して労災補償の場面に持ち込もうとするものであり、無過失責任主義に立脚する労災補償制度の建前に反する失当な主張である。
第三 争点に対する判断
一 前記争いのない事実、証拠(甲第六ないし第一二号証、第一三及び第一四号証の各一、二、第一六号証の一ないし一〇、第一七号証の一ないし一六、第一八号証の一ないし三四三、第一九号証の一ないし六、第二〇号証の一ないし一八、第二一、第二二号証、第二三号証の一ないし三、第二七号証の一、二、第三〇号証の一ないし二一、第三一号証、第三二及び第三三号証の各一、二、第三四号証、第三七ないし第四〇号証、第六五、第六八、第六九号証、第七〇号証の一、二、第七一ないし第八一号証、第八二号証の一、二、第八三、第九〇号証、第九二及び第九三号証の各一、二、第九四号証、第九五号証の一、二、第一〇一号証、乙第七ないし第一一号証、第一二号証の一ないし七、第一三、第一四、第一七、第一八号証、第二三号証の一、第二五、第二六号証、証人伊藤貞之、同金原龍夫及び同伊藤博治の各証言。なお、書証の成立(写しについては原本の存在を含む。)については、いずれも当事者間に争いがないか、真正に成立したものと認められる。以下同じ。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 伸剛の業務内容
(一) 伸剛は、昭和二四年二月一九日出生し、昭和五一年一一月一日、東宝運輸に入社し、以後一貫しセミトレーラー(最大積載量二三トン)の運転手として主に鋼材等の重量物の運送の業務に従事していた。東宝運輸は、セミトレーラー等の貨物自動車合計一六台を保有し、運転手一三名を使用して、服部鋼運、丸定運輸等数社から主として鋼材等の重量物の運搬を下請として請け負っていた運送会社であるが、伸剛は、同社において整備班班長を勤めるなど、同社社長や同僚の信頼も厚く、同僚運転手のリーダー的存在であるとともに、責任感が強く、人の嫌がる仕事も率先して行うなど仕事に真面目に取り組む人物であった。そのためもあって、経験の浅い配車係に対するアドバイスを行ったり、配車係から依頼された予定外の運送業務を臨時に行うこともしばしばあった。
(二) 伸剛ら東宝運輸の運転手の勤務時間は、就業規則上は、午前八時から午後五時まで、途中正午から午後一時までの一時間の休憩を除いて八時間と定められていたが、数社から請け負った荷物をセミトレーラーで運送するというその業務の性質上その定めどおりには運用されておらず、実際には、名古屋市近辺を中心に昼間行う運送業務の場合には、東宝運輸に午前六時台から七時台に出勤し、同所を出庫して、荷積みの現場に赴き、鋼材等の荷積みを受けてこれを搬送し、荷卸し現場に赴いて荷卸しを行うという運送業務に、一日に一回ないし数回にわたって従事した上、夕刻に東宝運輸に帰庫し、午後五時台から午後七時台に同所を退出して帰宅するのが通常であり、恒常的に残業せざるを得ない状況になっていた(以下、この名古屋市近辺における昼間の運送業務を「昼間勤務」という。)。また、毎月大体五回前後は、昼間勤務に加えて、長距離運送の仕事にも、同僚運転手と順次交代して就くことになっていたが、この仕事に就く場合には、昼間勤務の最後に長距離運送のための荷積みを済ませ、東宝運輸に帰庫していったん帰宅し、夕食、入浴等を済ませた上で再度出勤し、昼間勤務に引き続き、再度出庫し、深夜運転走行をした上翌日早朝に目的地に到着して、車中で仮眠し、その後荷卸しをした上で、その日の午後に東宝運輸に帰庫するという二暦日にわたった昼夜連続の勤務に従事することになっていた(以下、この運送業務を「昼夜連続勤務」という。)。昼夜連続勤務は、三日に一回といった予め定期に予定されている業務ではなく、取引先の都合とその要請にその都度応じる形の不定期の業務であった。
なお、運送業務における荷積みの際には、伸剛ら運転手は、積み込みの場所を指示したり、積み込まれた荷物が動かないようこれをワイヤーで締めるなどの作業にも携わっていた。
2 伸剛の発症前の勤務状況
(一) 伸剛が本件発症前一か月間(昭和六三年二月一日から同年三月二日までの間)に従事していた運送業務の内容は概ね別紙記載のとおりである。
(二) 右(一)で認定した各事実によると、昭和六三年二月一日から同年三月二日までの間における昼間勤務及び昼夜連続勤務の各拘束時間、各労働時間及び各運転時間は概ね次のとおりと認められる(括弧内の各時間中前者が労働時間、後者が運転時間を示す。なお、昼夜連続勤務の拘束時間の算出に当たっては、昼間勤務終了後いったん帰宅するため退出後、再度出勤するまでの時間を除いている。)。
① 二月一日(月)
昼間勤務 拘束八時間一三分
(労働五時間五八分 運転二時間)
② 二月二日(火)
昼間勤務 拘束九時間五三分
(労働八時間二三分 運転四時間三七分)
③ 二月三日(水)
昼間勤務 拘束一二時間四八分
(労働六時間四三分 運転一時間四三分)
④ 二月四日(木)、五日(金)
昼夜連続勤務 拘束三五時間三五分
(労働二五時間 運転一八時間二五分)
⑤ 二月六日(土)、七日(日)
昼夜連続勤務 拘束一七時間五五分
(労働一三時間三五分 運転二時間四五分)
⑥ 二月八日(月)、九日(火)
昼夜連続勤務 拘束二二時間三六分
(労働一六時間三一分 運転八時間一〇分)
⑦ 二月一〇日(水)、一一日(木)
昼夜連続勤務 拘束三五時間三三分
(労働二一時間〇三分 運転一七時間〇五分)
⑧ 二月一二日(金)、一三日(土)
昼夜連続勤務 拘束三五時間三四分
(労働二一時間一九分 運転一五時間五七分)
⑨ 二月一五日(月)
昼間勤務 拘束一〇時間四二分
(労働八時間三七分 運転二時間二〇分)
⑩ 二月一六日(火)
昼間勤務 拘束一一時間〇五分
(労働九時間五〇分 運転三時間)
⑪ 二月一七日(水)、一八日(木)
昼夜連続勤務 拘束三五時間一一分
(労働二三時間四六分 運転一三時間一五分)
⑫ 二月一九日(金)、二〇日(土)
昼夜連続勤務 拘束三一時間四四分
(労働二二時間一九分 運転一六時間五〇分)
⑬ 二月二二日(月)
昼間勤務 拘束九時間五六分
(労働八時間三六分 運転二時間四〇分)
⑭ 二月二三日(火)
昼間勤務 拘束一二時間〇六分
(労働八時間三六分 運転五時間)
⑮ 二月二四日(水)
昼間勤務 拘束一〇時間二七分
(労働八時間四七分 運転四時間四五分)
⑯ 二月二五日(木)
昼間勤務 拘束一〇時間二二分
(労働九時間二二分 運転五時間二〇分)
⑰ 二月二六日(金)
昼間勤務 拘束一〇時間五〇分
(労働八時間四〇分 運転五時間)
⑱ 二月二七日(土)
昼間勤務 拘束一〇時間
(労働九時間三〇分 運転三時間四〇分)
⑲ 二月二九日(日)
昼間勤務 拘束一一時間五九分
(労働八時間五四分 運転二時間五〇分)
⑳ 三月一日(火)、二日(水)
昼夜連続勤務 拘束一六時間一六分
(労働一二時間四一分 運転七時間二一分)
(三) (一)で認定した各事実によると、(二)と同一期間中における各休息時間(勤務終了後次の勤務開始までの時間)は概ね次のとおりと認められる。
① (二)①の勤務終了後(二)②の勤務開始まで 一四時間
② (二)②の勤務終了後(二)③の勤務開始まで 一三時間
③ (二)③の勤務終了後(二)④の勤務開始まで 一一時間
④ (二)④の勤務終了後(二)⑤の勤務開始まで 一三時間
⑤ (二)⑤の勤務終了後(二)⑥の勤務開始まで 一五時間弱
⑥ (二)⑥の勤務終了後(二)⑦の勤務開始まで 一一時間
⑦ (二)⑦の勤務終了後(二)⑧の勤務開始まで 一六時間
⑧ (二)⑧の勤務終了後(二)⑨の勤務開始まで 休日を加えて三七時間三〇分
⑨ (二)⑨の勤務終了後(二)⑩の勤務開始まで 一三時間
⑩ (二)⑩の勤務終了後(二)⑪の勤務開始まで 一二時間三〇分
⑪ (二)⑪の勤務終了後(二)⑫の勤務開始まで 一三時間
⑫ (二)⑫の勤務終了後(二)⑬の勤務開始まで 休日を加えて三七時間
⑬ (二)⑬の勤務終了後(二)⑭の勤務開始まで 一二時間三〇分
⑭ (二)⑭の勤務終了後(二)⑮の勤務開始まで 一二時間
⑮ (二)⑮の勤務終了後(二)⑯の勤務開始まで 一三時間三〇分
⑯ (二)⑯の勤務終了後(二)⑰の勤務開始まで 一四時間
⑰ (二)⑰の勤務終了後(二)⑱の勤務開始まで 一三時間
⑱ (二)⑱の勤務終了後(二)⑲の勤務開始まで 休日を加えて三六時間三〇分
⑲ (二)⑲の勤務終了後(二)⑳の勤務開始まで 一一時間三〇分
3 伸剛の発症直前の勤務の内容及び発症の際の状況
伸剛は、昭和六三年三月一日午前四時三〇分頃起床し、午前五時過ぎ頃に家を出て、午前五時三四分に出勤し、前記2(一)認定(別紙の三〇)のとおり、昼間勤務を終えて午後七時頃帰宅した。当初の予定では、伸剛は、同日の勤務は昼間勤務で終了することになっており、沼津行きの出張は同僚の早川幸広と伊藤貞之の二名が担当する予定であったが、右伊藤には別の長距離運送の仕事が既に予定されていたことから、急きょ伸剛が伊藤の代わりに行くことになった。伸剛は、昼間勤務を終えて帰宅した際、夕食を摂っただけで、疲れていたためか、日頃行う入浴をせず、そのまま午後九時前頃に自宅を出て出勤し、午後九時頃出庫して、国道一号線を沼津に向かい、伸剛に後れて、右早川も沼津に向かった。伸剛の予定では、午後九時に出庫して、翌二日の午前三時頃に目的地に到着し、車中で仮眠した後、午前八時頃から荷卸しをし、その後名古屋に向かって、同日午後三時か四時頃に東宝運輸に帰庫するつもりであった。ところが、伸剛は、沼津に向けて出発し、国道一号線を東上中、同日午前零時五〇分頃脳動脈瘤破裂を発症し、その発症に前後して、自車左側バンパー、フロントタイヤのボルト、左側ミラーを停車現場手前のトンネル側面やガードレール等で擦るなどした上で停車させた。その後同日午前二時頃、伸剛が自車運転席で意識不明の状態にあったところを早川に発見され、速やかに救急車で島田病院に搬送され、CT検査により二個の脳動脈瘤が発見されたため、脳動脈瘤破裂と診断されて緊急開頭術、動脈瘤クリッピング等の治療が施されたが、昭和六三年三月九日午後一時一〇分、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため死亡した。
4 伸剛の健康状態等
(一) 伸剛は、身長約一七四センチメートル、体重約六〇キログラムであり、(二)で認定する高血圧症疾患を除けば、過去、二〇歳台に痔疾患、おたふく風邪(耳下腺炎)を、三四歳当時に尿道結石をそれぞれ患ったくらいで、特にこれといった既往症もなく、(二)で認定する高血圧症疾患も含め、長期にわたる病気療養やそのための休業などしたことがなく、東宝運輸の運転手として通常の業務を本件発症に至るまで何ら支障なく継続して行っていた。
(二) 伸剛は、昭和六〇年二月五日、風邪を訴えて矢守医院で受診したところ、高血圧症、動脈硬化症の診断を受け、更にその後鼻血が出たため、再度同月八日及び一二日に同医院で受診したが、その際行われた血圧測定の結果によると、同月八日には最大血圧一八〇mmHg(以下同じ。)、最小血圧一〇〇、同月一二日には最大血圧二一〇、最小血圧一二〇であった。右診断を受けた後、伸剛は、血圧計を購入して自分の血圧を計測したり、一時禁煙したり、更に素人療法を試みたり、頭痛の場合に頭痛薬を服用したりするなどしていたが、それ以上、血圧降下剤の投与を受けるなどの専門医師による医学的治療を受けるようなことはしていなかった。なお、伸剛は、昭和六二年二月八日には鼻血を出して耳鼻咽喉科で受診したり、同年九月二四日には喉から出血して病院で「急性鼻咽頭炎、喉頭出血」と診断されたこともあった。
(三) 東宝運輸では、昭和五五年五月及び昭和五七年五月に定期健康診断が実施され、その際に計測された伸剛の血圧は、昭和五五年には最大血圧一四四、最小血圧七〇、昭和五七年には最大血圧一四四、最小血圧八〇で、正常値を示していた。その後は、伸剛の本件発症に至るまで定期健康診断がまったく実施されなかったため、(二)で認定したものを除けば、伸剛の本件発症前における血圧に関するデータは存在していない。
(四) 伸剛は、昭和六三年二月二〇日の土曜日、妻とコーヒーを飲んだ際、自分がコーヒーをこぼしているのに気づかず、疲労のためか我を忘れてボーとしていたことがあり、また、伸剛の同僚であった松井勝利が東宝運輸を退職したためその送別会が同月二一日に開かれた際、日頃飲酒を好んでいたにもかかわらずほとんど飲酒せず、身体の不調を訴えてすぐに横になるなどし、更に、同月二八日には自宅での着替えを億劫がるなど、同月ころから身体のだるさや頭痛等の身体の不調を周囲に訴えるようになっていた。
(五) 伸剛は、昭和六三年三月一日午後六時頃、沼津行きの荷物を積んで帰庫し、いったん帰宅しようとした際、東宝運輸の配車係である金原和久に対し、頭痛を訴え、病院で受診した上で沼津に向かう旨、沼津に到着後の仮眠時間を長く取るために、沼津には早めに出発するつもりである旨を告げた。しかし、同日、伸剛が病院等で受診した事実は認められない。
(六) 伸剛は、晩酌としてビール一本か日本酒二合を嗜み、喫煙も、高血圧症と診断された後一〇か月位禁煙したことがあったものの、その後は従前と同様に、一日一箱位を吸っていた。
5 伸剛の死亡と業務との関係についての医師の意見
(一) 島田市民病院の村田啓二医師は、その意見書において、「動脈瘤の破裂に関し、血圧の作用(高血圧)、特に血圧上昇が重要であると考えられている。精神的緊張、過労等で血圧が上昇することは一般に認められている。本患者が、勤務中に発症しており、それが今回の破裂の助長因子であったことは否定できぬものと思われる。」と述べている。
(二) 井谷徹名古屋市立大学教授は、「植松伸剛氏のクモ膜下出血死亡に関する意見書」(甲第六九号証)及び別件訴訟における証人尋問(甲第七〇号証の一、二)において、概ね以下のような意見を述べている。
伸剛が従事していた形態の運転労働は、労働時間・拘束時間の長さ、勤務時間帯の不規則性などの負担要因を有し、これが高血圧症の発症、増悪の一要因になること、また、休息期間と休日の短さが疲労回復の阻害要因となり、特に、昭和六三年二月から三月二日までの間の休息条件が劣悪であって、これが高血圧症の増悪、脳動脈瘤破裂のリスク要因として指摘できること、伸剛の職場の健康管理体制も非常に劣悪であり、高血圧症増悪、脳動脈瘤破裂のリスク要因として指摘できること、伸剛は高血圧症に罹患していた疑いが強いから、運転作業中の精神的、肉体的負担による一時的な血圧上昇が血圧正常者に比べて大きかったこと、以上の四点からみて、伸剛の脳動脈瘤破裂による死亡は、同人が従事していた労働による負担と職場健康管理の不備が有力な原因となり発生したものと考えられる。
(三) 田尻俊一郎医師は、意見書(甲第一〇一号証)において、以下のような意見を述べている。
伸剛の労働負担は過重であり、そのために、伸剛がもっていた基礎疾病である脳動脈の先天的弱点や高血圧の進行が、その自然経過を超えた急激な増悪を来したとみることができるから、業務起因性が認められる。
(四) 伊藤博治医師は、同医師作成の意見書(乙第一一号証)において、概ね以下のような意見を述べ、当審における証言でも概ね同旨の証言をしている。
伸剛の発症前一週間における業務は通常の業務量であって、過重負荷は認められず、また、発症直前における突発的な出来事は認められない反面、既往症として、高血圧、脳動脈硬化症が認められるから、既存の脳動脈瘤に未治療の高血圧が加わって増悪し、動脈瘤破裂に至ったものと思われ、業務に起因して発症したものとは考え難い。
(五) 須原邦和医師は、同医師作成の「植松事件に関連して述べる過重負荷と脳卒中の相関についての医学的見解」(乙第二三号証の一)において、業務に関連して発症する血管病変があるのかどうか甚だ疑問であり、猛烈な激務に従事していた場合に「行政的に」業務起因性を認めるということを否定はしないが、純医学的には、過重負荷(過労)と血管病変とを関連付けて考えるのは無理である旨述べる。
(六) 藤田保健衛生大学客員教授である野村隆吉は、同人作成の意見書二通(乙第二五、第二六号証)において、いずれも概ね以下のような意見を述べている。
伸剛の死亡原因は同人に以前から存在していた脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血を発症したことにあるところ、脳動脈瘤破裂発症に関係の深い疾患として、高血圧症、脳動脈硬化症が挙げられ、同人は既往症として、昭和六〇年二月二五日に高血圧症、動脈硬化症の診断を受け、当時の血圧は二一〇ないし一二〇という異常な高値を示していたこと、しかも、高血圧症、動脈硬化症に最も有害とされる喫煙、飲酒を嗜んでいたことからすると、これらがくも膜下出血を発症させた大きい要因となったというべきである。他方、精神的緊張、過労等が関与すると言われているが、同人の業務内容と作業時間が過重負担となったとは考えられない。
二 業務起因性の判断基準について
1 労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を補償しようとすることにあるものと解される。そして、労基法及び労災保険法が労災補償の要件として、労基法七五条、七九条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法一条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつ、これをもって足りるものと解するのが相当である(最判昭五一年一一月一二日・集民一一九号一八九頁参照)。そして、この理は本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患及び虚血性心疾患等の非災害性の労災に関しても何ら異なるものではない。
したがって、業務と結果発生との間に合理的関連性ないし条件関係があれば足りる旨の原告の主張は採用できない。
2 これに対し、被告は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する業務起因性については、規則三五条別表第一の二第九号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」と認められることが必要であり、また、右「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関しては、新認定基準にいう「業務による明らかな過重負荷」等の認定基準に該当する事実の存在することが必要である旨主張する。
しかし、労基法七五条二項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることにした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められる範囲を拡張したり、制限しようとしたものではないというべきである。また、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する新認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判定基準を示したものにすぎないから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
もっとも、右認定基準が脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議の報告に基づき定められたものであるなどの経緯に照らすと、新認定基準は業務起因性について医学的、専門的知見の集約されたものとして、高度の経験則を示したものと理解することができるのであって、本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患の発症に関する相当因果関係の有無を判断するに当たっては、右専門家会議の報告及び新認定基準の示すところを考慮することの必要性を否定することはできない。
3 相当因果関係の判断基準について
業務と本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患等の発症に関する相当因果関係の有無の判断に当たり基礎とされるべき事実と基準については、次のように考えるのが相当である。
(一) 前記労災補償制度の趣旨から明らかなとおり、業務起因性が認められるためには、業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められることが必要であるが、本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患の発症については、もともと被災労働者に、素因又は動脈硬化等に基づく動脈瘤等の血管病変が存し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であると考えられるところ、血管病変等は、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、血管病変等の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていない。また、血管病変等が破綻して脳動脈瘤破裂等の脳血管疾患が発症することは、血管病変等が存する場合には常に起こり得る可能性が存するものであり、右脳血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められていない。
したがって、こうした脳血管疾患等の発症の相当因果関係を考える場合、まず第一に当該業務がその業務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(以下「業務過重性」という。)が必要であり、そして更に、前記のとおり脳血管疾患の原因としては加齢や日常生活等も考えられ、業務そのものを唯一の原因として発症する場合は稀であり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、「相当」因果関係が認められるためには、単に業務が脳血管疾患等の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。
(二) ところで、新認定基準は、その付属のマニュアル等により、業務過重性の判定基準を示しているところであり、新認定基準等に沿って業務過重性を判断することにも一定の合理性のあることは前に述べたとおりである。
しかし、業務過重性について、新認定基準等が、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとした上、客観的とは、「医学的に」「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうのであるから、被災者のみならず、「同僚又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるものであって採用できない。なぜなら、一般に、因果関係の立証は、「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」(最判昭五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁参照)と解されていること、とりわけ、医学的な証明を必要要件とすると、精神的、肉体的負荷の一つとされるストレスや疲労の蓄積といったものが高血圧症に及ぼす影響や高血圧症と脳出血の発生機序について、医学的に十分な解明がされているとはいい難い現状においては、被災労働者側に相当因果関係の立証について過度の負担を強いるおそれがあり、ほとんどの場合業務と脳血管疾患等との間の因果関係が否定される結果になりかねないこと、このような結果は、現在の社会の実状に照らし、労災補償制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。また、新認定基準等により業務過重性判断の基準とされる「同僚又は同種労働者」についても、当該被災労働者の年齢、具体的健康状態等を捨象して、基礎疾患、健康等に問題のない労働者を想定しているとすれば、それは、多くの労働者がそれぞれ高血圧その他健康上の問題を抱えながら日常の業務に従事しており、しかも、高齢化に伴いこうした問題を抱える者の比率が高くなるといった社会的現実の存することが認められることを考慮すると、業務過重性の判断の基準を社会通念に反して高度に設定しているものといわざるを得ないものであって、同様に採用できない。
(三) そして、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の基礎疾患を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合には、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。
このような過重負荷の存在が認められ、これが原因となって基礎疾患等を増悪させるに至ったことが認められれば、右過重負荷が自然的経過を超えて基礎疾患を増悪させ死傷病等の結果を招来したこと、すなわち業務と結果との間に因果関係の存することが推認されるのみならず、右過重負荷が発症に対し相対的に有力な原因であることも推認され、その結果、基礎疾患が自然的経過をたどって発症するほどに重篤な状況にあったこと、業務外の肉体的、精神的負荷等が原因となって基礎疾患を増悪させたこと、当該労働者が、結果発生の危険性があることを自ら認識しながらこれを秘匿するなどして敢えて業務に従事したこと等の特段の事情について主張立証のない限り、業務と結果との間の相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
三 業務起因性
1 ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症
(一) 肉体的疲労、精神的緊張等のストレスが高血圧を増大させ、脳血管疾患等を増悪させる危険因子の一つであり、これらストレスないし疲労の蓄積が、正常者に比して高血圧症等の疾患を有する者に対してより大きく作用し、容易に血圧の上昇を招くことが医学的にも知られており、この点は、新認定基準及びその付属マニュアル等においても認められているところである。
(二) もっとも、ストレスないし疲労の発生要因は種々であって業務のみではないことや、ストレスないし疲労の発生、その受容の程度及び身体に与える影響についても個体差が存し、現在の医学水準ではストレスないし疲労の蓄積といったものを客観的定量的に把握できないことも確かであり、このことから、ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症の増悪との間の因果関係を医学的に肯定することはできないとの見方も生ずるが、法的因果関係は必ずしも厳密に医学的な証明を要するものではなく、ましてストレスないし疲労の蓄積が定量的に把握できなければ高血圧症増悪との間の因果関係を肯定することができないといった性質のものでないことは前記二3で判示したところからも明らかであり、むしろ、通常人の目から見て日常の業務により受ける程度を超えたストレスないし疲労の蓄積が認められ、これが高血圧症を増悪させたものと判断され、また医学的にも、厳密にその機序、程度を証明することまではできないにしても、そのような作用のあることが矛盾なく説明された場合には、その因果関係を推認して妨げないものと解される。そして、高血圧症の増悪をもたらすほどのストレスないし疲労の蓄積としては、発症直前から前日までの間の業務によるものか、少なくとも発症前一週間以内に過重な業務が継続したことによるものが重要であるが、それだけに限られるわけではなく、精神的、身体的負荷による血圧変動の程度がその負荷を受けた者の身体の状況に左右されることがあることからすると、それ以前におけるストレスないし疲労の蓄積も、血圧変動の程度を増大させる付加的な要因として作用することがあり、この点も、新認定基準等で認められているところである。
2 業務内容の過重性
(一) 労働省改善基準
甲第四五、第四六号証によると、昭和六三年当時、自動車運転者の労働条件の改善を図り、併せて交通事故の防止に資するため、労働省により自動車運転者の労働条件の最低基準が定められており(昭和五四・一二・二七基発六四二号「自動車運転者の労働時間等の改善基準について」。以下「改善基準」という。)、ハイヤー・タクシー業以外の事業における自動車運転者に関する規定内容は以下のとおりであることが認められる。
(1) 労働時間
所定労働時間は、休憩時間を除き、一日について八時間、一週間について四八時間を超えないものとし、また、変形労働時間制をとる場合には、四週間を平均して一週間の労働時間が四八時間を超えないものとする(改善基準Ⅲ)。
(2) 拘束時間及び休息期間
① 始業時刻から始まる一日(始業時刻から始まる二四時間をいう。)の拘束時間は、時間外労働を含め一三時間以内とし、この一日の拘束時間は二週間を平均して計算することができるものとする(改善基準Ⅳ1(1))。
② 始業時刻から始まる一日の拘束時間の限度(最大拘束時間)は、時間外労働を含め一六時間とする。また、一日の拘束時間が一五時間を超えることのできる回数は、一週間を通じ二回を限度とするものとする(改善基準Ⅳ1(2))。
③ 勤務と次の勤務との間には連続した八時間の休息期間を与えなければならないものとする(改善基準Ⅳ1(3)イ)。
④ 業務の必要上やむを得ない場合には、当分の間、次の条件の下で隔日勤務に従事させることができるものとする(改善基準④(5))。
イ 二暦日における拘束時間は、時間外労働を含め二一時間を超えてはならないものとする。
ロ 勤務と次の勤務との間には連続した二〇時間以上の休息期間を与えなければならないものとする。
(3) 休日
① 休日は、休息期間に二四時間を加算して得た連続した時間とする。ただし、いかなる場合であっても、その時間が三〇時間を下回ってはならないものとする(改善基準Ⅳ3(2))。
② 休日労働は、二週間における総拘束時間が一五六時間(ただし、隔日勤務の場合には一二六時間)を超えない範囲内で行うことができるものとし、その回数は二週間を通じ一回を限度とするものとする(改善基準Ⅳ1(13))。
(4) 最大運転時間
① 始業時刻から始まる一日の運転時間は、時間外労働を含め九時間以内とし、この一日の運転時間は、二日を平均して計算することができるものとする(改善基準Ⅳ1(8))。
② 一週間における運転時間は、時間外労働を含め四八時間以内とし、この一週間における運転時間は二週間を平均して計算することができるものとする(改善基準Ⅳ1(9))。
右の改善基準は、右判示のとおり、ハイヤー・タクシー業以外の自動車運転者の労働条件について最低基準を定めることによって、労働条件の改善を図り、併せて過労等に基づく交通事故の防止に寄与することを目的としたものであることに照らすと、これを自動車運転者の業務の過重性を判断する際の目安の一つとして考慮することができるものというべきである。
(二) 発症当日までの勤務による疲労の蓄積
(1) まず、伸剛の労働時間について改善基準の遵守状況をみるに、前記一2で認定した事実によれば、昭和六三年二月一日から本件発症前日である同年三月一日までの間において一日の労働時間が八時間を超えなかったのは二回に過ぎず、時間外労働が恒常的に行われている状況にあったことが認められる。その上、その間に昼夜連続勤務が、本件発症直前の勤務を除き、合計七回に及んでいるところ、そのうち二暦日における最大限の拘束時間二一時間を超えなかったのは、わずか一回であり、特に、前記一2(二)の④、⑦、⑧、⑪及び⑫についてはいずれも三一時間強ないし三五時間強と右基準を大幅に超えている。しかも、これらの長時間に及ぶ昼夜連続勤務が、同年二月四日から同月一三日にかけて五回連続して、その後更に、同月一七日から同月二〇日にかけて二回連続してそれぞれ行われていることが注目される。そして、この連日にわたっての昼夜連続勤務における運転時間をみても、前記一2(二)の④、⑦、⑧及び⑫の四回については、始業時刻から始まる一日の最大運転時間である九時間を優に超えているだけでなく、合計七回に及ぶ昼夜連続勤務における運転時間の平均が一三時間二五分強、多いときには、一七、八時間にも達しており、しかも、これらの長時間に及ぶ昼夜連続勤務の後についての休息期間をみても、いずれも二〇時間の休息期間の基準が満たされず、これを大幅に下回っている。また、同年二月一日から同月一四日までの二週間の総拘束時間が一七八時間強に達するが、それにもかかわらず、同月七日の日曜日には休日が取られていないことが認められる。
(2) 右(1)の認定事実に、前記一1(伸剛の業務内容)及び3(四)(伸剛の当時の体調不良)で認定した各事実を併せ考慮すると、伸剛は、時間外労働が恒常化した勤務体制の中で、昭和六三年二月初め頃から同月二〇日頃までの間、休息を十分取ることなく、休日も一回返上した上で、長時間にわたる昼夜連続勤務に連日のように従事し、正に働きづめの状態にあって、ただでさえ過重というべき業務を高血圧症という基礎疾患を有する伸剛が遂行したことにより、身体的、精神的疲労を蓄積させ、その後もその疲労を回復することなく、慢性的、恒常的な過労状態に陥ったまま本件発症前日に至ったことが認められる。
(三) 発症直前の業務内容
伸剛は、右のとおり、本件発症前日までに既に慢性的、恒常的な過労状態に陥った身体状況にあったところ、前記一2(一)別紙の三〇、3及び4(五)で認定した各事実によれば、そのような身体状況にあった伸剛が、本件発症前日である昭和六三年三月一日の早朝五時三四分から午後六時頃までの間、一二時間以上にわたる昼間勤務を終えた後、引き続き翌日午後三時から四時までかかる沼津行きという昼夜連続勤務に就き、しかも、その沼津行きの業務は伸剛にとって予定外のものであって、昼間勤務を終えていったん帰宅する際、脳動脈瘤破裂の前駆症状とも目される頭痛と疲労を訴えていたというのであり、これら本件発症直前の就労の経緯とその状況、伸剛の身体の状態等の事実を総合考慮すると、高血圧症の基礎疾患を有する伸剛にとって、本件発症直前のその業務内容は日常業務に比較して著しく過重であり、その血圧を急激に上昇させるに足りるものであったことが認められる。
3 相当因果関係の存在
以上認定した事実を総合すると、伸剛は、2(二)で判示した過重な業務による精神的、身体的疲労を回復することなくこれを蓄積させ、その結果、急激な血圧上昇を起こしやすい身体的状態のまま発症直前に至り、2(三)で判示したように、発症当日に、急激な血圧上昇の原因となり得るところの著しく過重な業務に従事したことが認められるから、右過重な業務により伸剛の血圧が自然的経過を超えて急激に上昇し、その結果、脳動脈瘤破裂の結果を招来したことが推認できる。
この点、前記一4の認定事実によると、伸剛は、昭和六〇年に高血圧症の診断を受けたにもかかわらず、以後医学的治療を受けず、喫煙も一時中止しただけで再開し、取り立てて食事内容にも気を付けることもせず無頓着であったことが窺われるが、定期健康診断の実施がなされていないこともあってその間の医学的データが存在しない本件にあっては、右事実から、昭和六〇年に診断された高血圧症が本件発症当時までに自然的経過により脳動脈瘤破裂が発症するほどに重篤な状態に至っていたことや、それが脳動脈瘤の脆弱性を亢進させるべき要因となったことまで認めることはできず、その他伸剛につき高血圧症の増悪や脳動脈瘤の脆弱化の事実を裏付けるに足りる証拠はない。また、甲第四〇、第六五号証、第九二号証の二、第九四号証、第九五号証の一、二、乙第九号証、証人伊藤貞之及び同金原龍夫の各証言によると、伸剛は、運送業務の遂行中、自車に積んだパーソナル無線等を用いて他車と交信を楽しむ習慣をもっていたことが認められるが、本件発症当時、これを自車に積んでいたかどうか、仮に積んでいたとしても、実際に交信をしていたかどうか証拠上明らかでない上、そもそも自動車運転中に行われる無線による交信がどの程度伸剛の高血圧症を増悪させる精神的、身体的負荷となり得るのかについて、これを裏付けるに足りる証拠はなく、その他右の推認を覆すに足りる特段の事情は認められない。
なお、前記一5のとおり、伊藤医師及び野村客員教授は、伸剛の本件発症について業務起因性を否定しているけれども、その結論の根拠を成しているのは、伸剛の業務の過重性が認められないと判断されたことにあるところ、前判示のとおり、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の業務の過重性の判断については、当該業務に従事することが一般的に許容され、これまで格別の支障もなく当該業務に従事してきている場合には、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、これを判断するのが相当であって、このような判断基準によれば、前判示のとおり、業務の過重性が認められるというべきであり、現に、伊藤医師の当審における証言においても、伸剛のような基礎疾患を有する者を前提に考えれば、本件発症前日から当日にかけての伸剛の運転業務が過重である旨明言されているところからしても、右両医師の意見は、その立論の前提を異にしている点で、前判示内容を左右するに足りるものではないというべきである。また、須原医師の意見は、伸剛の本件発症についての業務起因性を具体的に否定したものではなく、一般論として、血管病変が業務に起因して発症することについての医学的疑問を提示したものにすぎず、右意見は採用の限りではない。
以上により、伸剛の業務は本件発症の相対的に有力な原因に当たるものとして、両者の間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。
第四 結論
以上の次第で、伸剛の死亡には業務起因性が認められるから、これと異なる判断に基づいてされた本件処分は違法であり、取消しを免れない。
よって、原告の請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官福田晧一 裁判官立石健二 裁判官西理香)
別紙(以下の時刻はすべてその頃を指す。)
一 昭和六三年二月一日(月) 午前九時二六分東宝運輸に出勤。午前一一時〇五分出庫。午前一一時二五分目的地到着。午前一一時四五分同所出発。午後零時一〇分目的地到着。午後零時五五分同所出発。午後一時一〇分目的地到着。午後一時五〇分同所出発。午後二時一五分目的地到着。その後午後四時三〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後五時〇五分東宝運輸帰庫。午後五時三九分同所退出。
二 同月二日(火) 午前七時一七分東宝運輸に出勤。午前七時二五分出庫。午前八時〇五分目的地到着。午前八時五〇分同所出発。午前一〇時〇五分目的地到着。午前一〇時二五分同所出発。午前一一時一五分目的地到着。午前一一時三〇分から午後一時まで休憩。午後一時二〇分同所出発。午後一時五〇分目的地到着。午後二時三〇分同所出発。午後三時一〇分目的地到着。午後三時四五分同所出発。午後四時二五分東宝運輸帰庫。午後五時一〇分同所退出。
三 同月三日(水) 午前六時二九分東宝運輸に出勤し、直ちに出庫。午前七時一五分目的地到着。その後午前八時二〇分まで休憩。午前一〇時一五分同所出発。午前一一時目的地到着。その後午後四時まで休憩。午後四時一〇分から三回にわたり二分ないし五分の運転走行を経て、午後六時四五分東宝運輸帰庫。午後七時一七分同所退出。
四 同月四日(木) 午前六時三四分東宝運輸に出勤。午前八時出庫。午前九時一五分目的地到着。午前一〇時二五分同所出発。午後零時二〇分目的地到着。その後午後一時五〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後三時東宝運輸にいったん帰庫。その後午後四時四〇分まで、午後五時から午後七時までそれぞれ休憩し、午後七時いったん退出。午後七時三〇分再度出勤し、横浜に向けて出発。
五 同月五日(金) 横浜までの運転走行中、二回合計二五分の休憩を取った上、午前四時三〇分横浜の目的地到着。その後午前八時三〇分まで仮眠等。午前一〇時一〇分同所出発。途中午後二時一〇分から午後三時一〇分まで休憩。午後五時五〇分東宝運輸帰庫。午後六時三九分同所退出。
六 同月六日(土) 午前七時四〇分東宝運輸に出勤。午後零時から午後一時まで休憩。午後五時退出。午後八時出勤して出庫。午後九時四五分目的地到着。午後一〇時五〇分から翌七日午前二時一〇分まで休憩。
七 同月七日(日) 午前二時三五分同所出発。午前三時三五分東宝運輸帰庫。午前四時三五分同所退出。
八 同月八日(月) 午前七時一四分東宝運輸に出勤。午前七時二〇分出庫。午前七時五五分目的地到着。午前八時五五分から午前一〇時〇五分まで休憩し、同時刻に同所出発。午前一〇時四〇分目的地到着。その後午前一一時五〇分まで休憩。午後零時四〇分同所出発。午後二時二〇分目的地到着。午後三時同所出発。午後四時東宝運輸にいったん帰庫。午後七時五五分岐阜に向け出発。午後九時二〇分目的地到着。午後九時四〇分から翌九日午前零時一五分まで休憩。
九 同月九日(火) 午前零時三五分同所出発。午前一時三五分東宝運輸帰庫。午前一時四八分同所退出。午前九時五五分東宝運輸に出勤。午前一一時出庫。午前一一時三〇分目的地到着。午後零時から午後一時一〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後一時五〇分目的地到着。午後三時同所出発。午後三時三〇分目的地到着。午後五時同所出発。午後五時一五分東宝運輸帰庫。午後五時五二分同所退出。
一〇 同月一〇日(水) 午前四時五七分東宝運輸に出勤。午前五時出庫。午前六時三〇分目的地到着。その後午前八時三〇分まで仮眠。午前九時〇五分同所出発。午前一〇時四五分目的地到着。午前一一時五五分から午後二時二〇分まで休憩。午後二時五〇分横浜に向けて出発。途中、午後五時から午後六時まで、午後八時一五分から午後八時三〇分まで、午後一〇時五〇分から午後一一時一五分まで、翌一一日午前零時四〇分から午前一時までの四回休憩。
一一 同月一一日(木) 午前一時一〇分横浜の目的地到着。その後午前八時まで仮眠。午前九時三〇分同所出発。途中、午後零時三五分から午後一時三〇分まで、午後二時から午後二時二〇分までの二回休憩。午後四時二〇分東宝運輸帰庫。午後四時三〇分同所退出。
一二 同月一二日(金) 午前七時二八分東宝運輸に出勤し、直ちに出庫。午前八時目的地到着。その後午前八時五〇分まで休憩。午前九時三〇分同所出発。午前一〇時五五分目的地到着。午後零時一〇分から午後零時五〇分まで休憩。午後零時五〇分同所出発。午後一時東宝運輸帰庫。その後午後二時一五分まで、午後二時四五分から午後五時まで二回休憩。午後五時横浜に向けて出発。途中、午後六時三〇分から午後七時五五分まで、午後一〇時四五分から午後一〇時五五分まで翌一三日午前二時二〇分から午前二時三〇分まで三回休憩。
一三 同月一三日(土) 午前二時四〇分横浜の目的地到着。その後午前九時まで仮眠。午前一〇時同所出発。午後一時三〇分から午後二時四〇分まで休憩。午後五時一五分東宝運輸帰庫。午後七時〇二分同所退出。
一四 同月一四日(日) 休日
一五 同月一五日(月) 午前七時二八分東宝運輸に出勤。午前七時三〇分出庫。午前七時五五分目的地到着。午前九時五〇分同所出発。午前一〇時二〇分目的地到着。午前一一時五〇分同所出発。午後零時一〇分目的地到着。その後午後一時五〇分まで休憩。午後二時一〇分同所出発。午後二時四五分目的地到着。午後三時五五分同所出発。午後四時一〇分から午後四時三五分まで休憩。午後四時五〇分東宝運輸帰庫。午後六時一〇分同所退出。
一六 同月一六日(火) 午前七時二五分東宝運輸に出勤。午前七時三五分出庫。午前八時目的地到着。午前八時四〇分同所出発。午前九時四五分目的地到着。午前一〇時同所出発。午前一一時目的地到着。午前一一時一五分同所出発。午前一一時四五分東宝運輸帰庫。その後午後一時まで休憩。午後六時三〇分同所退出。
一七 同月一七日(水) 午前七時〇三分東宝運輸に出勤。午後三時横浜に向けて出発。途中、午後五時四五分から午後七時一〇分まで、午後九時から午後九時一五分まで、翌一八日午前零時四〇分から午前一時まで三回休憩。
一八 同月一八日(木) 午前一時一〇分横浜の目的地到着。その後午前八時四〇分まで仮眠。午前一〇時同所出発。途中、午後零時五五分から午後二時三〇分まで、午後四時から午後四時二〇分まで二回休憩。午後五時東宝運輸帰庫。午後六時一四分同所退出。
一九 同月一九日(金) 午前七時二二分東宝運輸に出勤。午前七時二五分出庫。午前八時三〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前九時四〇分同所出発。午前一〇時三五分「昭栄工業」に到着し、荷卸し。午前一一時一五分から午前一一時五〇分まで休憩。午前一一時五〇分同所出発。午後一時東宝運輸に帰庫。午後四時三〇分、東京に向けて出発。途中、午後五時五五分から午後七時一五分まで、午後一〇時から午後一〇時一〇分まで、翌二〇日午前一時四五分から午前一時五五分まで三回休憩。
二〇 同月二〇日(土) 午前二時二五分東京の目的地到着。その後午前八時一五分まで仮眠。その後荷卸しの上、午前一一時一五分同所出発。途中、午後二時三〇分から午後三時三〇分まで、午後五時から午後五時二〇分まで二回休憩。午後六時東宝運輸帰庫。午後六時三六分同所退出。
二一 同月二一日(日) 休日
二二 同月二二日(月) 午前七時三二分東宝運輸に出勤。午前八時出庫。午前八時一五分「名建」に到着し、荷積み。午前一一時二五分同所出発。午後零時三〇分「坪井鉄工」に到着し、荷卸し。午後一時から午後二時二〇分まで休憩。午後二時二〇分同所出発。午後三時〇五分目的地到着。午後三時三五分同所出発。午後四時一〇分東宝運輸に帰庫。午後五時二八分同所退出。
二三 同月二三日(火) 午前六時東宝運輸に出勤し、直ちに出庫。午前七時岡崎の「中日鋼材」に到着。その後午前八時まで休憩。その後荷積み。午前九時同所出発。午前一〇時四五分「可児工業団地」に到着。その後午後一時まで休憩。その後荷卸し。午後三時同所出発。午後四時五五分から午後五時一〇分まで休憩。午後五時三〇分東宝運輸に帰庫。午後六時〇六分同所退出。
二四 同月二四日(水) 午前六時五八分東宝運輸に出勤。午前七時出庫。午前七時二〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前八時同所出発。午前八時四五分「TKK」に到着し、荷卸し。午前九時一〇分同所出発。午前九時五〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前一一時同所出発。午前一一時三〇分「TKK」に到着し、荷卸し。午前一一時五〇分から午後零時三〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後一時一〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午後一時三〇分同所出発。午後二時四〇分「名珪」に到着し、荷卸し。午後三時から午後四時まで休憩し、同時刻に同所出発。午後四時五〇分東宝運輸帰庫。午後五時二五分同所退出。
二五 同月二五日(木) 午前七時〇五分東宝運輸に出勤し、直ちに出庫。午前七時二五分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前八時二〇分同所出発。午前九時五〇分「トヨタ本社」に到着し、荷卸し。午前一〇時二五分同所出発。午前一一時二〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午後零時から午後一時まで休憩し、同時刻に同所出発。午後二時一五分「トヨタ本社」に到着し、荷卸し。午後三時同所出発し、午後四時二〇分東宝運輸帰庫。午後五時二七分同所退出。
二六 同月二六日(金) 午前七時二〇分東宝運輸に出勤し、直ちに出庫。午前七時四〇分知多の「IHI」に到着し、荷積み。午前七時五〇分同所出発。午前八時一〇分「滝上」に到着し、荷卸し。午前八時三〇分同所出発。午前九時一〇分知多の「IHI」に到着し、荷積み。午前九時三〇分同所出発。午前一〇時「滝上」に到着し、荷卸し。午前一〇時三〇分同所出発。午後零時知多の「IHI」に到着。その後二時一〇分まで休憩した後、荷積み。午後三時二〇分同所出発。午後四時「滝上」に到着し、荷卸し。午後四時三〇分同所出発し、午後五時三〇分東宝運輸帰庫。午後六時一〇分同所退出。
二七 同月二七日(土) 午前七時二一分東宝運輸に出勤。午前七時三〇分出庫。午前八時三〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前九時四五分同所出発。午前一〇時二〇分「岡谷」に到着し、荷卸し。午前一〇時五〇分同所出発。午前一一時二五分「新日鉄」に到着し、荷積み。午後零時から午後零時三〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後一時三〇分「岡谷」に到着し、荷卸し。更に同所で荷積みした後、午後三時四〇分同所出発。午後四時一〇分東宝運輸帰庫、荷物積置き。午後五時二一分同所退出。
二八 同月二八日(日) 休日
二九 同月二九日(月) 午前六時〇四分東宝運輸に出勤。午前六時一〇分出庫。午前六時五〇分「日車」に到着し、その後午前八時二〇分まで休憩した後、荷卸し。午前一〇時同所出発。午前一〇時四〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前一一時四〇分から午後零時五〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後一時二〇分知多の「IHI」に到着し、荷卸し。午後一時三〇分同所出発。午後一時五〇分「大洋鋼材」に到着し、荷卸し。午後二時二〇分同所出発。午後二時四〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午後四時四五分から午後五時一〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後五時三〇分東宝運輸帰庫、荷物積置き。午後六時〇三分同所退出。
三〇 同年三月一日(火) 午前五時三四分東宝運輸に出勤し、直ちに出庫。午前六時三〇分「TKK」に到着。その後午前八時二〇分まで休憩した後、荷卸し。午前九時同所出発。午前九時五〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午前一〇時二〇分同所出発。午前一〇時五〇分「岡谷」に到着し、荷卸し。その後午前一一時二〇分同所出発。途中、午前一一時三〇分から午後零時一〇分まで休憩。午後零時三〇分「新日鉄」に到着し、荷積み。午後二時から午後二時四〇分まで休憩し、同時刻に同所出発。午後三時三〇分「岡谷」に到着し、荷卸し。更に、沼津行きの荷積みをした後、午後五時四〇分同所出発。午後六時東宝運輸帰庫、荷物積置き。その後いったん帰宅し、夕食を摂った後再度出勤。午後九時沼津に向けて出発。途中、午後九時三〇分から午後九時四〇分まで、午後一一時三〇分から午後一一時四五分まで二回休憩。
三一 同月二日(水) 午前零時五〇分運転走行中に本件発症。